☆ 今日は2016年1月12日(火) 大相撲のラジオ中継始まる ☆
☆ ▼大相撲実況ラジオ放送が開始
(1928)昭和3年1月12日、大相撲1月場所(東京・国技館)からNHKラジオの実況放送が始まった。放送時間内に終了させるため、仕切りに幕内10分、十両7分などの制限時間を設定、それを超えて「待った」をした場合は負けとした。
ここ最近の大相撲は、前年の力士離脱などから興行不振が続いた為、さまざまな試みがなされますが、実況中継を機に行われた一つが、仕切り時間を設ける事でした。
かつては仕切り時間は無かったのですが、放送時間内で中継する為、仕切り時間が10分に設けられ、《まった》をした場合は敗者となる事もありました。
また新聞等にも相撲興行の広告が出されるよになりますが、こうしたことから結果大相撲は人気を盛り返す事になります。 ☆
☆ お早うございます、今日もお立ち寄りありがとうございます。 ☆
☆☆ 2016年 1月12日 松下幸之助 一日一話
人生を設計する
毎日、なにがなしに仕事をしている、ということでは困ると思います。何でもいい、何か1つの目的を持つ。そういうものを日々持ってそして同時に、1カ月先、あるいは1年なら1年の間には、こういうことをやってみるのだ、という1つの自己設計とでもいうものを持つことが大切だと思います。
そして、それはうまくいく場合もありますし、うまくいかない場合もあります。しかし、これはもう仕方がありません。仕方がないけれども、そういうものを持っているということ、次つぎに生んでいくということ、それが、私は生きがいというものにつながっていくと言ってもいいと思うのです。 ☆☆
☆☆☆ 【コラム】 筆洗
2016年1月11日 東京新聞 TOKYO WEB
▼<こみ合へる電車の隅にちぢこまるゆふべゆふべの我のいとしさ>。石川啄木がこれを詠んだのは二十代半ばか。創作の一方で新聞社で校正係として勤務していた。暮らしのためには働かねばならない。通勤電車の中で「ちぢこまる」自分がいとおしく、褒めてやりたかった
▼大人なら啄木に「当然のことだろ」というか。けれど、若い人には大人や社会の当然が重荷でもある。大人になるとは重荷を背負い、あの通勤電車の仏頂面の一員になることかもしれぬ
▼成人の日である。重荷? じゃあ良いことないじゃないか。そうでもない。重荷にちぢこまった分、苦労した分、自分や自分の生活が「いとおしく」なる。このいとおしさを手に入れれば、生きることは、ぐっと楽にもなる
▼同じちぢこまった人を見て、その人の悲しみや喜びまでも、ぼんやりと感じるということもある。世界全体がいとおしく、生きることはまんざら悪くないと心から思える日も来る
▼啄木といい、東北の方は電車でちぢこまる傾向があるのか。井上ひさしさん。娘さんが聞いた。「どうしてパパはそんなに小さくなって電車に乗るの?」。人の迷惑にならぬよう。それが社会性だと教えたそうだ(『夜中の電話』井上麻矢さん)。これも大人への切符の一枚
▼大変か。心配無用。大半の大人は小欄も含め大人になる訓練を続けている。たぶん一生。 ☆☆☆
☆☆☆☆ 今日の雑記
今朝はくもり空ですが、時々は晴れるみたいです。昼間は寒いみたいです。
昨日は、朝のなので寒いと思い、近くのとんど焼きを見に行くのに少し厚着をしていきましたら、天気を良く風もなく穏やかで、歩いているうちに背中に汗をかきました。
今朝も目覚ましていただき感謝です。
今日も皆様にとって良い一日でありますように、大切にして元気に過ごしましょう。 ☆☆☆☆