nk2367nkの日記

覚え書きです。

今日のコラム

☆ お早うございます、今日もお立ち寄り有難う御座います。☆

4月12日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

 人間は、ときに迷ったり、おそれたり、心配したりという弱い心を一面に持っている。だから、事を成すに当たって、ただ何となくやるというのでは、そういう弱い心が働いて、力強い行動が生まれてきにくい。けれども、そこに一つの使命を見出し、使命観を持って事に当たっていけば、そうした弱い心の持ち主といえども、非常に力強いものが生じてくる。

 だから指導者は、つねに事に当たって、何のためにこれをするのかという使命観を持たねばならない。そしてそれをみずから持つとともに、人びとに訴えていくことが大事である。そこに“千万人といえども我ゆかん”の力強い姿が生まれるのである。


【コラム】筆洗

2014年4月11日 東京新聞TOKYOWeb

▼ちょうど二百年前の春、ウクライナの農村で、男の子が産声を上げた。タラス・シェフチェンコ農奴として生まれ、才能を認められて自由の身となったが、政治犯として流刑に。四十七年の生涯のうち、本当に自由だったのはわずか九年。そういう人生を歩んだ詩人だ

▼<ドニエプルの流れが/ウクライナから 敵の血を/青い海へと 流し去ったら/そのときこそ 野も山も/すべてを捨てよう。/神のみもとに 翔(か)け昇り/祈りを捧(ささ)げよう…だがそれまでは/わたしは神を知らない>

▼こういう詩を読めば、かの国で民族主義が高揚すればするほど、帝政ロシアの圧政の下、ウクライナ語で民族の悲劇と自由への渇望をうたったその名の輝きが増す理由が分かる▼だが、彼はこんな詩も書いている。<なんのために 槍(やり)でロシア兵の肋骨(ろっこつ)を/犂(す)き返すようなことをしたのか。種を蒔き、/血で潤し、/サーベルで均(なら)した。/畑には 何が生えてきただろう。/芽生えたのは 毒草だ。/わたしたちの自由を損なう 毒草だった>

▼これらの詩を訳したシェフチェンコ研究家の藤井悦子さんは「ウクライナ人が真に自立し、解放されるためには、他民族との共存が不可欠なのだと、彼は考えたのではないでしょうか」と話す

▼隣人を憎む民族主義は、自らを害す毒草。きな臭さが増すばかりのかの地に、毒草が広がっているのか。

昨日のカープVメール
11日マツダスタジアムカープ4―3中日、勝ち投手バリントン1勝2敗、セーブ・ミコライオ5S 詳しくは中国新聞朝刊で

☆ 今日も皆さまにとって良い一日でありますように ☆