nk2367nkの日記

覚え書きです。

今日のコラム

☆ 今日は2016年1月16日(土) 藪入り[やぶいり] ☆

☆ 実家へ帰ります
昔、商店に奉公している人や、嫁入りした娘が、休みをもらって親元に帰ることができた日。
毎年2回、1月16日と7月16日が一般的な藪入りの日だけ実家に帰ることが許されていました。

かつて、藪入りの日となると、主人は奉公人たちにお仕着せの着物や履物を与え、小遣いを与え、さらに手土産を持たせて実家へと送り出しました。

実家では両親が待っており、親子水入らずで休日を楽しみました。また、遠方から出てきたものや成人したものには実家へ帰ることができないものも多く、彼らは芝居見物や買い物などをして休日を楽しんだのです。

第二次世界大戦後、労働基準法の強化などにより労働スタイルが変化し、日曜日を休日とするようになると藪入りはすたれ、正月休み・盆休みに統合されるようになりました。

藪入りの伝統は正月や盆の帰省として名残を残しています。 ☆


☆ お早うございます、今日もお立ち寄りありがとうございます。 ☆


☆☆ 2016年 1月16日 松下幸之助 一日一話

 1月16日 武士道と信頼感

昔、武士は庶民の上に置かれ、尊敬されていた。これは一つには、武士が武力を持っていたからとも考えられるが、それだけではない。やはり武士は道義に厚く、武士としての精神を忘れず、いわゆる武士道に徹することにより、庶民の信頼と尊敬をかち得ていたものと思う。

これは会社の中でも言える。経営者には経営者道、従業員にはいわば従業員道ともいうべきものがあると思う。それぞれ当然やるべきことがある。これをお互いに責任を持って貫いてゆくというところに、信頼関係の基礎があり、その信頼関係を高めてゆく推進力があるのではないだろうか。まずお互いの立場で、それぞれの道に徹したい。 ☆☆


☆☆☆ 【コラム】 筆洗

2016年1月15日 東京新聞 TOKYO WEB

 ▼初代は伝説の爆笑王、二代目はその死をもって「上方落語は滅んだ」と評された名人。それほど重い「春団治」の看板を二十代で継いだのが、三代目桂春団治さんだ
 
 ▼そのころ、酒席で桂米朝さんと口論になったという。大名跡を背負っていくには持ちネタが少なすぎないかと米朝さんに言われ、春団治さんは腹を立てた。だが翌朝、目覚めた米朝さんの前には、正座し頭を下げる春団治さんの姿があった
 
 ▼年齢は米朝さんより下だが、噺(はなし)家としては先輩。普段は「米朝くん」と呼ぶ友に礼を尽くし教えを請う姿に胸を打たれた米朝さんは十八番の「代書屋」を伝授し、自ら演じることを封印したという(戸田学著『上方落語の戦後史』)
 
 ▼名人二人の稽古に居合わせたことがある桂福団治さんが、その様子を活写している。<天下の三代目春団治が、扇子を前に置いて、「よろしくお願いいたします」と、きっちり挨拶(あいさつ)してからお稽古が始まるんです。で、終わったらまたいつもの三代目と米朝師匠の関係に戻りますねん。見ていてほれぼれしましたな>(『青春の上方落語』)
 
 ▼二代目が逝去したころには滅亡の危機にあった上方落語は、三代目春団治米朝、六代目笑福亭松鶴、五代目桂文枝の「四天王」が互いに磨き合い、弟子を育てることで息を吹き返した
 
 ▼ほれぼれとさせる芸の余韻を残し、三代目の人生の幕が下りた。 ☆☆☆
 
 
☆☆☆☆ 今日の雑記 
 
今朝は薄曇りです、気温が低く寒いです。昼間は晴れるみたいです。 
 
昨日は午後、イオンモール高の原で、京都警察音楽隊の演奏を聞いてきました。

今朝も目覚ましていただき感謝です。 
 
今日も皆様にとって良い一日でありますように、大切にして元気に過ごしましょう。 ☆☆☆☆