nk2367nkの日記

覚え書きです。

今日のコラム


8月26日松下幸之助一日一話松下幸之助.COM)

矢面に立つ精神

人間が大事に際して、その難局の「矢面に立つ」ということは、人生としてはおそろしいことであり、大変に勇気のいることである。スリルがあるとか、あるいはこれはおもしろいな、という人も、今日の青年の中にはいるかもしれないが、ほんとうに腹を割ったところ、あまり愉快ではないと思う。しかし、こういう場合に敢然として、その矢面に立つことも男子の本懐と喜んで事に当たることも大切である。

そしてそういう人こそ、大事において、うろたえず、ものを決断することのできる人であり、人多くして人なき社会において、ほんとうの人物として立っていくことのできる人であるという思いがする。




筆洗

2013年8月25日筆洗東京新聞)コラム
 
▼昨年亡くなった中沢啓治さんには「はだしのゲン」の続編を描く構想があった。目の病気で実現できなかったが、広島平和記念資料館の展示室で下書き原稿を見ることができる(九月一日まで)

▼敗戦から十四年後、ゲンは絵の修業のために上京する。理髪店で被爆のことを話すと、店主から「原爆を受けた者に近づくと放射能がうつる」と罵倒される。東京大空襲で親を失った子どもに同情し、財布を盗まれる場面もある

▼絵が描かれているのは一ページだけ。鉛筆でこま割りやせりふを指定する粗いスケッチだが、波乱に富む新生活を予感させる。続編では被爆者差別を描こうとしたそうだ

▼累計部数一千万部超。二十カ国で翻訳されているこの漫画が、松江市の小中学校の図書館で自由に読めなくなった。旧日本軍の暴虐さを描いた一部の描写が過激とされた

▼校長四十九人のうち、制限が必要と答えたのは五人。結果的に政治的圧力に屈する形になった市教委の判断は理解に苦しむ。週刊少年ジャンプで連載中、人気が下位に沈んでも、編集長が子どもに読ませたいと判断し連載は続いた。どちらが教育的だろうか

麻生太郎外相(当時)の肝いりで核拡散防止条約の国際会議に政府代表団が英語版「はだしのゲン」を配布したことも。下村博文文部科学相は閲覧制限を認めた。大の漫画好きの麻生さんの考えが聞きたい。




2013年8月26日天声人語(OCN*朝日新聞デジタル

天声人語

▼処世訓にも色々ある。竹下登元首相の語録に「汗は自分でかきましょう。手柄は人にあげましょう」がある。自分で実行するか、できるかは別にして、記憶に残る言葉ではある。竹下氏は「辛抱、辛抱、永久辛抱」を旨とした

▼控えめにふるまうのも競争に勝ち残るための戦略に他ならないが、それとは正反対の世界を人気ドラマが描いている。TBSの「半沢直樹」だ。手柄を部下にあげるどころか、自分の失敗の責任を押しつけてくる上司と、主人公は激しく戦う

▼番組の公式サイトを開いて噴き出した。いきなり「クソ上司め、覚えていやがれ」とあった。半沢は、バブル期に銀行に入った中間管理職である。「やられたらやり返す、倍返しだ!」の啖呵(たんか)が冴(さ)える

▼倍返しという言葉、80年代末にバレンタインデーのお返しの常識として使われた記憶がある。あの騒々しかった時代ははるか遠い。同じ言葉が仕返しという物騒な意味合いで再登場したのも、ご時世か

▼「ブラック企業」「追い出し部屋」……。会社の仕打ちに辛抱ならなくても、現実にはなかなか刃向かえない。10倍返しの返り討ちに遭いかねない。せめて堺雅人さん演じる半沢の目力(めぢから)と行動力に溜飲(りゅういん)を下げる。そんな思いの人も多いだろう

▼「チャンバラ小説の痛快さ」を狙った。原作を書いた作家の池井戸潤(いけいどじゅん)さんはかつて本紙にそう語っている。といって単純な勧善懲悪ものでもない。『オレたちバブル入行組』の最終盤の一行に首がすくむ。「人事が全てだ」