nk2367nkの日記

覚え書きです。

今日のコラム



8月21日松下幸之助一日一話松下幸之助.COM)

カンを養う

カンというと、一見非科学的なもののように思われる。しかしカンが働くことはきわめて大事だと思う。指導者は直観的に価値判断のできるカンを養わなくてはいけない。

それでは、そうしたカンはどうしたら持つことができるのか。これはやはり経験を重ね、修練をつむ過程で養われていくものだと思う。

昔の剣術の名人は相手の動きをカンで察知し、切っ先三寸で身をかわしたというが、それは、それこそ血のにじむような修行を続けた結果であろう。

そのように指導者としても、経験をつむ中で厳しい自己鍛練によって、真実を直観的に見抜く正しいカンというものを養っていかなくてはならない。




筆洗

2013年8月20日筆洗東京新聞
 

終戦から三カ月たった一九四五年の十一月十八日、三十六歳の青山フユさんは日記に書いた。<疎開の荷物を運び出す…彼を待つ準備もうれしい>

▼しかし、その三日後、夫の戦死が知らされる。十一月三十日の日記は、こうしたためられた。<雨降る。終日家に立てこもり、彼との生活をなす。思えば涙のみ溢(あふ)れ一入(ひとしお)堪えがたし>

▼フユさんの手元には、夫の泉さんがフィリピン戦線から送り続けた約百四十通の手紙が残った。その手紙とフユさんの日記の一部を収めた『戦場からの恋文』(中日新聞社出版部)を読めば、あの時代を生きた一組の夫婦の息遣いが蘇(よみがえ)る

▼出征した四二年の暮れ、泉さんは手紙に書く。<内地から半分持って来たもの(愛情なんて言葉には当てはまらないほどの根強いもの)をじっと握りしめている事で、俺の毎日は幸福だと思っている。来るべき日の為(ため)にお互いをもっと強く鍛え上げようではないか>

▼手紙は翌年三月に届き、フユさんは日記に<彼からの便りを繰り返し見たりして楽しく過ごす。もっともっとよりよき生活を築く夢を描いて見る…そうありたくてならぬ>と書いた

▼泉さんの死は、四五年九月二十三日。終戦後も戦闘状態が続く中、病と飢えで命を落としたという。九十歳まで生きたフユさんは、戦場からの恋文の一字一句をノートに書き写し、心の支えにしたそうだ。




2013年8月21日天声人語(OCN*朝日新聞デジタル

天声人語

▼正しく怖がる」という言葉をよく耳にしだしたのは、新型肺炎の「SARS(サーズ)」が流行した頃だったか。10年前のことである。その後、未曽有の津波被害や原発事故を経験する中で、危険に向き合う戒めとして広まった感がある

▼元祖とおぼしき言葉は、防災の警世家でもあった物理学者、寺田寅彦の随筆に出てくる。昭和10年、軽井沢で浅間山の噴火に遭遇した。カリフラワー形の噴煙が7、8キロまで立ちのぼったなどと細かく観察している

▼そのときの人々の言動を見て、「ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしい」と書き残した。色あせない一節を、浅間山ならぬ桜島の噴火に思い出した

▼噴煙は高いが、大規模な噴火につながるものではないという。それでも鹿児島市内は暗くなって、大量の降灰「ドカ灰」に見舞われた。この夏、猛暑豪雨の天変そして地異と、列島は息つく暇がない

▼夕立はゲリラ豪雨なる無法者に名を変え、各地でバケツをひっくり返す。秋田や山口などでは次々に発生する積乱雲が「経験のない大雨」や被害をもたらした。バックビルディング現象といい、予測困難というから恐ろしい

▼専門家によれば、人は危険に遭遇したとき「たいしたことはない」と思いたがる心理傾向があるという。ならば寅彦の「正当にこわがる」は、「しっかり怖がる」に改めて胸に畳んだ方が身を助けよう。逃げるに如(し)かず。この格言も色あせない。