☆ 今日は6月26日(金) 雷記念日 ☆
☆ 930年(延長8年)に平安京の清涼殿に落雷があり、大納言の藤原清貴が亡くなった。
この落雷は政治的な策略によって太宰府に左遷されそこで亡くなった菅原道真のたたりであると信じられ、道真公は名誉を回復した。またこれにより、菅原道真は雷の神「天神」と同一視されるようになった。☆
☆ お早うございます。今日もお立ち寄り有難う御座います。
☆ 6月26日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)
冷静な態度
人間というものは誰しも、困難に直面すると恐れたり、動揺したりするものである。指導者とても人間だから、ときに不安を感じ、思案に余るのは当然であろう。
しかし、内心で感じても、それを軽々に態度に出してはいけない。指導者の態度に人は敏感なものである。それはすぐ全員に伝わり、全体の士気を低下させることになってしまう。
だから、指導者たるものは日ごろから事に当たって冷静さを失わないようにみずから心を鍛えなければならない。そして、どんな難局に直面した場合でも、落ち着いた態度でそれに対処するよう心がけることがきわめて大切だと思うのである。 ☆
☆【コラム】筆洗
2015年6月25日 東京新聞TOKYOWeb
▼名彫刻家だった父親の死後、せがれが跡を継いだが、どうにも腕が悪い。かつて父親に世話になった店の主人が恩返しで、せがれの不出来な作品を買い取ってきたが、ある日、せがれが持ってきた作品を見て堪忍袋の緒が切れる。人情噺(ばなし)の名作「浜野矩随(はまののりゆき)」の一席である
▼せがれが彫ったのは馬だったが、足が三本しかない。店の主人が問うと「ウトウトしていて一本落としてしまった」。主人はそんな代物を持ち込んできた了見が許せず、ひどく叱る
▼こっちの話は「一本落とした」ではなく一本増やしてしまった。小学校一年生が使う国語の教科書の挿絵。少女の腕が三本あるように誤って描き、一万冊弱を回収する騒ぎになった。画家が下書きで描いた余計な腕を消し忘れ、発行元の三省堂も間違いを見落とした。よほどウトウトしていたか
▼教科書、しかも、学校で最初に使う教科書であり、世間の声が厳しくなるのは仕方あるまいが、この件で子らに教えることがあるとすれば、間違いは誰にでもあり、それは教科書とて例外ではないということか
▼あの人情噺で不器用なせがれは母の命をかけた励ましに奮起、父をしのぐ名工となる
▼少々甘い話に聞こえるかもしれぬが、教科書が間違えたと笑い、こき下ろすよりも「もうしないでね」と、静かに声を掛ける方がよほど失敗した人の了見を変えるということもあろう。
☆ 今朝は雨です。梅雨らしく雨の一日の予報です。
昨日は、蒸し暑い日でした。
今朝も目覚ましていただき感謝です。
今日も皆さまにとって良い一日でありますように。