nk2367nkの日記

覚え書きです。

今日のコラム

☆ 今日は5月9日(土)はアイスクリームの日

東京アイスクリーム協会(現在の日本アイスクリーム協会)が1965年より実施。

1964年のこの日、アイスクリームのシーズンインとなる連休明けの時期であるこの日に、東京アイスクリーム協会が記念事業を行い、諸施設へアイスクリームをプレゼントした。以降、この日を「アイスクリームの日」として、各種のイべントを実施している。

なお、アイスクリームの日の由来として、1869(明治2)年に町田房蔵が横浜の馬車道通りに開いた「氷水屋」で、日本初のアイスクリーム「あいすくりん」を製造・販売した日であるという説が一般に流布しているが、これは旧暦6月(新暦7月)のことで5月9日ではない。☆


☆ お早うございます、今日もお立ち寄り有難う御座います☆

☆ 昨日のカープ カープVメール

8日甲子園球場カープ8―3阪神、勝ち投手戸田1勝、本塁打丸2号 詳しくは中国新聞朝刊で ☆


☆ 5月9日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

衆知を集める経営

会社の経営はやはり衆知によらなければいけません。何といっても、全員が経営に思いをいたさなければ、決してその会社はうまくいかないと思うのです。社長がいかに鋭い、卓抜な手腕、力量を持っていたとしても、多くの人の意見を聞かずして、自分一人だけの裁断で事を決することは、会社の経営を過つもとだと思います。

世間一般では、非常にすぐれた一人の人がワンマンで経営すれば、事がうまくいくということをよく言いますが、社長一人で事を遂行することはできませんし、たとえできても、それは失敗に終わるだろうと思います。やはり全員の総意によっていかになすべきかを考えねばならないと思うのです。


【コラム】筆洗

2015年5月8日 東京新聞TOKYO
 
マイヤ・プリセツカヤさんの運命を決めたのは、お辞儀だった。モスクワのバレエ学校の入学試験を受けた時、八歳の少女は踊りの初歩すら知らなかったが、そのお辞儀を見て、校長は「この子を」と即断したという

▼二十世紀最高のバレリーナの一人となった彼女はそうして舞台芸術の道を歩み始めた。だが、その人生は余りに劇的だった。彼女が十一歳の時に父は秘密警察に逮捕され、「人民の敵」として銃殺された。母も流刑に処せられた

▼やがて父の無実は証明されたが、命日が知らされたのは、半世紀たってから。この悲劇について、マイヤさんは自伝『闘う白鳥』で、こう記している。<なんという月並みで平凡なエピソードだろう!…>

▼独裁者スターリンによる大粛清と第二次世界大戦。不条理な死が平凡な出来事になってしまう時代を、彼女は重力に抗(あらが)うように踊ることで、生き抜いた

▼超一流の踊り手となってからも秘密警察につきまとわれて、海外公演は長く許されなかった。八十歳をすぎても演じた「瀕死(ひんし)の白鳥」の舞には、心の羽ばたきが凝縮していたのだろう

▼マイヤさんはお辞儀にこだわり続けたという。<観客の手に彗星(すいせい)の尾が残っていなければならない>。演技を縁取る優美なお辞儀があってこそ、それは可能になるのだと。八十九年の人生を踊りきり、彗星の尾を残し、マイヤさんは逝った。


☆ 今朝はくもり空です。昨日は良い天気でした。
肩と首が痛く不調です。

今朝も目覚ましていただき感謝です。
今日も皆さまにとって良い一日でありますように ☆