nk2367nkの日記

覚え書きです。

今日のコラム

☆11月2日【白秋忌】

お早うございます。今日もお立ち寄りありがとうございます。☆


11月2日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

生産者の感激

私が昔、直接生産に従事していたとき、新しい品物を代理店へ持参して見せると、「松下さん、これは苦心された品ですね」と言われたことがあります。こう言われたとき、私は無料で進呈したいと思ったほど嬉しかったのです。これは高く売れて儲かるという欲望的な意識でなくて、よくぞ数ヵ月の造る労苦を認めてくださったという純粋な感激だったのです。

こうした感激は、常に自分の魂と至誠を製品にこめる者のみが味わい得るものだと思います。そしてそのような喜びに全社員がひたりつつ生産してこそ、確固たる社会信用を獲得することのできる製品を生み出すことが可能になるのではないでしょうか。


【コラム】筆洗

2014年11月1日 東京新聞TOKYOWeb
 
▼氷点』などで知られる作家の三浦綾子さんが七十七年の生涯を閉じたのは、十五年前の秋のことだった。愛妻の命の終わりを告げられた時、夫の光世さんはこう語りかけたという。「では、また会うまで。さようなら」

▼綾子さんは二十四歳で結核を発病し、十三年間も病床にあった。絶望のふちにあった彼女は、敬虔(けいけん)なキリスト教徒の前川正さんの誠実な愛に救われたが、その彼も結核で逝った

▼<妻の如く想ふと吾を抱きくれし君よ君よ還り来よ天の国より><癒えぬまま果つるか癒えて孤独なる老に耐へるか吾の未来は>。そんな歌を詠んでいた綾子さんを受け止めたのが、光世さんだった

▼綾子さんの自伝『道ありき』には、光世さんの求婚の言葉が書きとめられている。「あなたが前川さんのことを忘れないことが大事なのです。綾子さん、前川さんに喜んでもらえるような二人になりましょうね」
 
▼光世さん自身も病弱だったが、綾子さんが作家になることを後押しした。度重なる病で筆を執れなくなった妻のため、口述筆記も続けた。「三浦文学」は、そうしてつむぎ出された

▼光世さんはおととい、九十歳で逝った。愛する妻が先に眠るその墓碑には、二人の短歌が刻んであるそうだ。<着ぶくれて吾が前を行く姿だにしみじみ愛し吾が妻なれば>光世。<病む吾の手を握りつつ眠る夫眠れる顔も優しと想ふ>綾子

☆今朝は曇り空ですが、霧も凄いです。今日も皆様にとって良い一日で有りますように。☆