nk2367nkの日記

覚え書きです。

今日のコラム

☆ 5月19日(月)ボクシング記念日
お早うございます、今日もお立ち寄り有難う御座います ☆

5月19日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

戦乱の中での商売よりも

昔の商人たちは、洋の東西を問わず、戦乱のちまたの中にあって、いつ流れ玉に当たって死ぬかもわからないという状態の中でも、立派に商売を進めてきました。

しかし、今日では流れ玉に当たるというようなことはまずありません。ですからそのような時代に比べると、今日は困難であるとか経済危機であるとか言っていますが、まだずいぶん楽である。むしろ非常に商売のしやすい絶好の機会と言えるのではないでしょうか。

そう考えて自分の商売をもう一回見直し、必要のあるところに創意工夫を加えていくことによって、難関を切り抜けていくこともできるかと思います。


【コラム】筆洗

2014年5月18日東京新聞TOKYOWeb
 
▼初夏に、おかしな話だが、手袋のミトンを考える。あの二股の手袋に不幸や悲しみを想起する人はあまりいないだろう。赤ちゃんが自分の顔を引っかかないように両手にはめてあげる。寒い日の小学生の手袋。母親が使ったオーブン用ミトンを思い出す人もいるか

▼やりきれぬミトンもある。延命治療で高齢者の両手にミトンをはめられることがある。鼻の酸素チューブなどを嫌がって無意識に抜いてしまうのを防ぐためである

▼特別養護老人施設の芦花(ろか)ホーム(東京都世田谷区)の常勤医師、石飛(いしとび)幸三さんを訪ねた。終末期の高齢者への過剰な延命医療措置を批判し、自然な生命力に任せる「平穏死」を提唱する

▼親の死が迫る場合、家族は一日でも長く生きてと願うが、胃ろうなどの延命医療は、身体への負担が大きい。苦しい。「それは本当に親のためなのか」「最期は穏やかに逝かせてやる方がいい」

▼助かる者への救命措置や苦しむ人の痛みを軽減する緩和ケアはもちろん必要だが、逝きたいのに逝けないのが延命医療ならば、こんなにむなしいことはない。チューブをつかめぬミトンの悲しさ

世田谷文学館に寄る。詩人の茨木のり子さんを振り返る展覧会。<逝くときのあまりにひどい肉体の刑罰 それはないでしょう なんのための罠(わな)><心配しないで 死をしそんじた者は今までに一人もいない>。噛(か)みしめる。
 
昨日のカープ

カープVメール

18日東京ドーム、カープ10―3巨人、勝ち投手バリントン5勝4敗、本塁打菊池5号、エルドレッド14号・15号、木村1号 詳しくは中国新聞朝刊で

☆ 今日も皆さまにとって良い一日でありますように ☆