nk2367nkの日記

覚え書きです。

今日のコラム

8月24日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

我 執

 一人ひとりの人が、それぞれに自分の考え、自分の主張を持つということは、民主主義のもとではきわめて大事なことである。が、同時に相手の言い分もよく聞いて、是を是とし、非を非としながら、話し合いのうちに他と調和して事を進めていくということも、民主主義を成り立たせる不可欠の要件であると思う。もしもこの調和の精神が失われ、それぞれの人が自分の主張のみにとらわれたら、そこには個人的我執だけが残って争いが起こり、平和を乱すことになる。

 今日のわが国の現状、世界の情勢をみるとき、今少し、話し合いと調和の精神が欲しいと思うのだが、いかがなものであろう。



筆洗

2013年8月23日筆洗(東京新聞TOKYOWeb)

正岡子規は野球が大好きだった。<愉快とよばしむる者たゞ一ッあり ベース、ボール也>。学生時代、野球に情熱を注いだ。打者、走者、直球…。子規が翻訳を試みた用語は今も生きている

▼野球という熟語も創造し、「ノ・ボール」と読ませた。自分の幼名である「升(のぼる)」の当て字で、雅号の一つとして使った。「ヤキュウ」と音読みさせ、ベースボールの訳語にしたのは子規の一中の三年後輩に当たる中馬庚(ちゅうまんかなえ)である(長谷川櫂著『子規の宇宙』)

▼近代日本語の最大の改革者が三十五歳で亡くなってから百十年余。ベースボールの本場に渡った日本人が、日米通算で四千本もの安打を重ねる時代が来るとは想像もできないことだった

イチロー選手の「快挙」には慣れてしまった感もあるが、桁外れの安打数は賛嘆しかない。米球界でも二人だけしか到達していない偉業である

▼「自分自身を模倣し、自分自身をいつもコピーしつづけるのは、安心である。しかし、そこには停滞があり、衰退が待ち受けている。組織であれ、個人であれ、その生命が持続していくには、自己模倣ではなく、自己の更新が必要なのだ」。世阿弥の思想に基づいた土屋恵一郎・明治大教授の指摘である

▼過去の自分を模倣するだけの選手なら大記録は生まれなかった。限界に挑戦し続け新しい自分を生みだす三十九歳。物語の続きが楽しみだ。




2013年8月24日天声人語(OCN*朝日新聞デジタル

天声人語

▼降りすぎれば厄介だが、干天(かんてん)なら慈雨と呼ばれ、恵みの雨と拝まれもする。底が抜けたような雨の目立つ夏ながら、水不足に悩む地も多い。雨量分布は斑(まだら)をなして、ある所では田んぼがひび割れ、ある所ではダムの水量が心細い

▼鹿児島県南さつま市では先週、渇水対策本部の初仕事に雨乞いをした。棒でたたくと雨を呼ぶと伝わる巨石に、市長らが願をかけた。サツマイモやミカンへの影響が心配されるといい、降っても照っても農業は気がもめる

▼現代版の「雨乞い」もある。東京都は21日、小河内(おごうち)ダム周辺の人工降雨装置を12年ぶりに動かした。ヨウ化銀の溶液を燃やして煙を上空に放つと、煙の粒子が雨粒をつくる理屈という。間もなくぽつぽつと雨が降りだしたそうだ

▼人工降雨はれっきとした技術で、多くの国が取り組んでいる。北京五輪では「人工消雨」が話題にのぼった。雨にたたられないように、前もって雨を降らせて雨雲を消してしまおうとする試みで、理屈は同じである

▼照れば雨を、降れば陽光を、人は求めてきた。雨乞いはもとより、昔の欧州には、雲に大砲を撃ち込み、刺激して雨を降らそうとした記録も残るそうだ。砲弾はむなしく落下して、雨が降ることはなかったろうけれど

▼きのうは二十四節気処暑。暦の上では暑さがおさまる頃となり、列島は広く雨の週末である。雨乞いの南さつま市も一息だろうか。気象を操る大望もいいが、天の恵みの好日と好雨はもっといい。秋への傾斜が待ち遠しい。