nk2367nkの日記

覚え書きです。

今日のコラム

☆3月11日は東日本大震災発災の日
 平成23年(2011)3月11日14時46分に、宮城県沖の海底で発生した東北地方太平洋沖地震とその地震によって発生した津波によって東北地方~関東北部の大平洋沿岸部に壊滅的な被害をもたらした東日本大震災が発生した日。☆

☆コラムの日
1751年(宝暦元年)にイギリスの新聞『ロンドン・アドバイザーリテラリー・ガゼット』が、世界初のコラムの連載をはじめたことから。 ☆


☆お早うございます。今日もお立ち寄りありがとうございます。


☆3月11日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

塩の辛さはなめてみて……

たとえば水泳の先生が、三年間講義をしたとします。それでその講義を受けた人がすぐ泳げるかといいますと、必ずしも泳げないと思うのです。
また、塩の辛さというものでも、塩をなめさせることをしないで、「塩は辛いぞ」と言ってもわからないでしょう。塩の辛さはなめてみてはじめて、「ああこれが塩の辛さやな」とわかるわけです。

処世のコツとでも申しますか、お互いの人生において大切な事柄を会得するということも、事を行なって、そのやったことを仔細に考え、検討してゆくところから、はじめて可能になるのではないかと私は思います。


☆【コラム】筆洗

2015年3月10日 東京新聞TOKYOWeb
 
▼なぜラッキョウなのか。戦争中、赤飯にラッキョウを食べれば、焼夷弾(しょういだん)の被害から逃れられるという迷信が庶民の間に広まっていた。米軍の無差別攻撃によって約十万人が命を落とした一九四五(昭和二十)年の東京大空襲から十日で七十年である
▼物のない当時は赤飯のためのアズキも入手困難だったのだろう。簡略化して「朝飯をラッキョウだけにする」というわびしい食べ方もあったというが、そこまで「ラッキョウ」にこだわっている

▼あの独特の臭いと関係あるのか。東京大空襲の二年前に公開された、映画「無法松の一生」(稲垣浩監督)。阪東妻三郎が演じる無法松がラッキョウを好んでいたが、焼夷弾にも負けぬ「壮健さ」につながったか

ラッキョウ焼夷弾の形を思わせ、こっちから食べてしまうという説もあるそうだが、この言葉と関係があるという。「脱去(だっきょ)」

▼七十年後のワープロソフトではなかなか変換できない言葉だが、戦火の人たちはラジオの伝えるその言葉に胸をなで下ろしたに違いない。「敵艦上機は攻撃せる後、脱去せり」。脱去とラッキョウ。「似ちょって、ラッキョウを食べたらよかっち」。映画「紙屋悦子の青春」の一場面に教わった

▼地口(じぐち)、駄じゃれなのか。それでも信じたのは、そう信じるしかなかったのだろう。そう信じなければ、耐えられぬ時代。これほど悲しい駄じゃれはない。

☆いのちの日
 東日本大震災で失われた多数の命から、命の尊さを思い、命の大切さを考え、この震災で学んだことを風化させることなく災害に備えようと、災害時医療を考える会(Team Esteem)が制定。。☆
    
☆今日は東日本大震災が発生してから4年ですね。早いですね。今朝は朝日が眩しいですが、寒い朝です。今日は14時46分には被害に遭われた方に、黙祷してご冥福を祈ります。今朝も目覚ましていただき感謝です。
今日も皆様にとって良い一日で有りますように。☆